『いきさつ』

5月192010

貸本屋『高角書房』って覚えてますか?

投稿者:所長 19:10:59 カテゴリ:所長ブログ(New)

2010年5月19日(水)


先日まで、遅まきながらも山陰では珍しい程の好天気が続いたと思ったら・・・本日は、朝から雨。 しかも激しい雨。

今は、小振りです。


しかし、微妙に蒸し暑く感じるな~ 5月も中旬だから当然ですが

気温が少々上がってきているのでしょう。動くと少々汗ばむ。



4月からのNHK朝の連ドラ『ゲゲゲの女房』、好評のようです。

主演の松下奈緒の人気による部分も大きい。


まだまだ、売れない時代の『水木しげる』。

このドラマに貸本屋『こみち書房』が直々登場する。


店のおかみさんが、松坂慶子。

一昔前を思うと、立派なおばさんになっちゃって・・・(失礼)


昭和30年代後半、37年、38年頃でしょうか?

私が小学校へ行くか行かないか位の年齢です。


ドラマにもありましたが、『紙芝居』がまだあった時代です。

ドラマの東京では、紙芝居の終焉時代のようでしたが

ここ江津本町では、紙芝居のおじさんが定期的にやって来て

飴とか、きなこ餅とか売りながら、紙芝居を楽しく演じてくれてました。


当時の我が家は、かなりの貧乏家庭でしたが、母親に小遣いをねだって

紙芝居のおじさんが来ると、家を飛び出していった記憶があります。

我が家の通りを奥に行った、隣の松井釣具店の前に集まったものです。


こんな時代が、いつからいつまで続いたのか?

今となっては断片的であり、年齢や時代が思い出せない。


同様に、断片的に覚えているのが

我が家が『貸本屋』だったこと。


今の、駅前ビルの場所は長屋だった。

小さな商店が並んでいたと思う。


その一角に、『高角書房』という貸本家があり、母親はそこで働いていた。

母の親しい友人が経営していた店で、そこを手伝っていた。

(後に、営業権を買い取っている)


まだまだ、母親が恋しい小さな子供でしたから、店に付いていって

漫画や小説を読んでいたのです。


小説って、当時は大人用の月刊誌です。

おそらく、子供が読むにはあまり適していないものであったと思う。


ゆえに、小さい時から、結構難しい漢字を読めていた。

また、“へん” や ”つくり” が異なっても、読み方は同じ漢字が

結構ある事を幼少期から知っていた。


  『浴』 と 『欲』 など・・・問題小説によく出る漢字だ。


まあ、それは置いといて

駅前の長屋にあった『高角書房』は、その後に、あけぼの通りに

移転する。


9号線方向から、あけぼの通りへ入って右側の数軒目。

1階が店舗で2階が住まい。その2階に母の友人親子が住んでいた。


『たかつののおばちゃん!』と、呼んでいた。

娘さんを『たかつののお姉ちゃん』と、呼んでいた。

ん・・・・『ちかちゃん』と呼んでいたような記憶もある。


貧乏な最中であった記憶があるのですが、少しも惨めに感じた事も無かったのは、母の明るさと、母の周囲の人達の明るさのお陰だと思う。


朝ドラでもそうだが、貸本家に近所のおばちゃん達が集まっては

しゃべくってる・・・その姿そのものでした。



昭和30年代といえば、一部の家庭を除けば、何処も似たように貧しかったと思う。


酒好きで人の面倒見の良い 私の“お爺ちゃん” が、家計を逼迫させていた。

昼間から、近所の友人を集めては酒を振る舞い。

手先が器用なものだから、ご近所のちょっとした修繕なども無料でやっていた。金儲けもヘタ!

躾の厳しい人でしたが、酒にはだらしなかったな~・・・


そんな火の車の家計を補う為に、パワフルな母は猛烈に働いていた。


断片的な記憶の中に、貸本家を夕方までやって、その帰りには

各家庭を回って、残飯を回収していた記憶がる。


当時、爺ちゃんが、養豚もやっていて、その豚ちゃん達の食事の為に、

家庭の残飯を回収させて頂いていた。

自転車の荷台に一斗缶を2つ並べて、その中へ。

それを持ち帰り、今度は、爺ちゃんがそれを、見事に綺麗に洗って選別し、豚ちゃんに食べさせていた。


この残飯回収だけは、さすがに子供心にも、微かな惨めさを感じていたように思う。


それでも、母に一緒について回る事自体が好きだったせいか、

毎日一緒に残飯回収に回っていた。



いつだったかは覚えてないが、あけぼの通りの『高角書房』も営業を止めた。

これは、『ゲゲゲの女房』でも、そに時代になるのでしょうが

週間雑誌の台頭とともに、各地の『貸本家』は無くなっていくのです。


で、この『高角書房』に本が沢山ある事は、当然だが

実は、我が家にも『貸本』が沢山置いてあった。

昔の家は、ボロだが玄関は広い。

なんせ、夜になると自転車を、その庭先に4台位収納していたから

それなりに広い玄関土間だった。

その玄関土間の壁側に、天井までの本棚が作ってあり、本が一杯だった。


そうかと言って、我が家で『貸本家』をやってた記憶はない。

家で貸本家をやっていれば、貸し出し管理をやらねばならないが

そんな記憶は一切なく、いつでも誰でも気ままに読んでいたから。


単純に、古くなった貸本を保存していたのだと思う。

外で遊び、帰って漫画や小説を読み・・・

暇つぶしには事欠かない幼少時代でした。


金銭的には貧しかったのでしょうが、笑いや温もりだけはあった気がする。


『ゲゲゲの女房』も、家計は火の車、しかし、殺伐としていない。


まさに、昭和30年後半から40年前半の、私の記憶の匂いです。





6 件のコメントがあります。

  1. 花田屋 2010/05/19 21:36:26

    はい。覚えています。
    とは言っても、小学校時代に駅前まで、それほど出かけてもいなかったので、店名までは・・・・。
    それから、あけぼの通りに移転された事は記憶にありません。

    豚ちゃんが居たのも覚えていますよ。
    三江線のトンネルの傍だった様な?

    懐かしき昭和30年代ですね。

  2. 所長 2010/05/19 21:52:11

    花田屋さん>

    覚えていましたか・・・
    店名を今、もう一度思い出してみると
    『高角文庫』だったような気もするなあ・・・

    豚ちゃんは、トンネルの山が畑でしたから、その一角に豚舎がありました。

    しかし、記憶が断片的で、それぞれをいつ頃からいつ頃までやっていたのかが、不明です。

    現代を思えば不便この上ない時代でしたが、充分に暖かい何かがあったように思います。

  3. 住永屋 2010/05/20 12:58:16

    あった、あった。
    曙通りを入って直ぐのところに、名前は忘れたが貸本屋があり、家が近かったものだから入り浸っていたねえ。確かに「高角なんとか」だったような気も…。
     夏の夕べなどは家の中が暑いものだから9号線の道路沿いに縁台を持ち出して、大人は酒を飲んだり将棋をしたり。9号線も車の数が格段に少なく、嘘みたいな話だけれど、荷車を引く馬も歩いていたよ。
    アオバナを垂らした子供が走り回り、銭湯に行けば腕に入れ墨を入れた職人さんがいた。まさに日本が「アジア」だったころの昭和30年代…。

  4. 所長 2010/05/20 13:26:38

    住永屋さん>

    覚えておられるでしょうね。
    特に、9号線界隈を我が物顔で闊歩しておられたでしょうからね。

    >まさに日本が「アジア」だったころの昭和30年代…。

    そうですよね・・・
    昭和30年、『もはや戦後ではない!』と言われた頃に生まれ、何もない事を不自由とも感じず、嬉々と皆が将来だけに目を向けて懸命に生きていたんでしょうね。

    今、伸びつつある“アジア”そのものだったのでしょう。
    あるTVで言っていましたが、中国人が並んで順番を待たないのは、
    『待ってて手に入るものは無い!という暮らしだからです』と。

    自らが、動くことでしか手に入らぬもの。

    一度成熟した環境は壊れやすく、脆い部分がありますが、
    作り上げている途上は、力強いですね。

    貧しい事が不自由でも不便でもないと言っても、
    それは子供の感覚であって、親は大変であったろうと思う。

    でも、何故か明るかったな。

  5. 懐かしき友 2010/05/22 23:23:45

    所長 様

    貸本屋·紙芝居、断片的な記憶しかないですが、お世話になりました。

    江津での記憶は紙芝居のみです。
    江津の紙芝居は吉備団子だったと思います。
    岩国では型抜きでした。

    貸本屋は岩国に引越してから、随分お世話になりました。
    岩国山パル社宅を出てすぐの所に、貸本屋があり、おませな少年はほぼエロ本に近い本を読んでいました。ヤレヤレ。

    拳法連盟の理事会帰り。近しい年代と飲んで、電車で帰宅中です。
    土曜日遅い時間ですが、京浜東北線は満員に近いです。

    東京恐るべし!、アッ俺は埼玉か…。

  6. 所長 2010/05/22 23:55:33

    懐かしき友>

    え!・・岩国へ転校した頃にも紙芝居があったって事?
    貸本家もあったって事だ・・・

    江津は串に刺してきな粉を塗した吉備団子だったね~
    おませな少年はいつの時代もそうですね!?

    深夜11時30分でも電車は満員な訳だ、飲んで帰宅する人々で。
    私、本日は『松江商業野球部保護者会の総会』で、今帰って来ました。
    高校に野球部の保護者会、息子が高校2年生。息子の同級生の保護者で同年齢は1人います。
    2年生の保護者でどう見てみ少し、私より年上だろうな?と思える保護者に、本日年齢を聞いてみました。

    昭和22年生まれ。
    私より8歳上ですから、御ン歳・・・63歳になる。
    これはびっくり! おまけに今年1年に下の子が入部。

    そりゃ普通、孫だろう!?
    恐れ入りました!!

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