『いきさつ』

いきさつ

石本光史”長男”が、『山陰中央新報江津販売所』の経営を引き継ぐ事になりました


<はじめに>
はじめまして。山陰中央新報江津販売所の新代表の石本でございます。

父と母が、長きに渡り営んでまいりました当販売所ですが、

平成10年に父が他界。


父亡き後も、母が懸命に店の運営を頑張って参りました。


・・が、今年(平成19年)5月に母が急逝。


急遽、長男である私が当販売所の経営を引き継ぐ事となりました。

40数年という長きに渡り、父、母が新聞販売業を営んでこれました事は、

ひとえに皆様のご支援の賜物であり、改めてここに深く深く感謝申し上げます。


『本当にありがとうございました!』


母の急逝は、予期せぬ事でした。

父が他界した後、1日も休む事なく無理に無理を重ね、

ここ最近の半年くらいは、極端な体調不良が続いていました。

それでも1日たりとも休む事は自分自身にとって、許せない事だったのでしょう。

入院だけは頑なに拒否をしておりました。

しかし、さすがに観念したのか、1月20日から1ケ月の予定で入院加療する事を

受け入れてくれましたが、状態は想像をはるかに超えておりました。


腎不全、高血圧、心不全・・・・etc。


特に、腎不全と高血圧の症状が顕著でした。最善の治療を受け、

本人も早期復帰を信じて、頑張りました。

当販売所のスタッフも毎日毎日、励ましに病院に見舞いに来てくれました。

ご近所のみなさま、古くからの読者のみなさまからも、随分励まして頂きました。


『店はみんなで協力して頑張っているから心配しないで!・・・

早く元気になって!』


ありがたい事です。長男である私は、松江市に住んでおります。

日々、病院についていてあげる事が出来ませんでした。

私達夫婦の至らなさを、周りの方達が懸命に埋めて下さいました。


5月12日午後7時13分。ついに帰らぬ人となってしまいました。


最後の時は、突然に・・・しかし、静かに静かにやって参りました。

後1ケ月・・・6月17日で78歳になる直前の事でした。



<父のこだわり>
私が、小学校6年生か中学1年生の時に、父と母が始めた新聞販売店です。
当時は、まだ『島根新聞』の時代でした。


現在の山陰中央新報社の山根社長、”若き江津支局長”の時代でした。

父は市の職員でありました。

二人は仲も良く、ある日 ”支局長”から相談を受けたのでした。
(もちろん、私が直接聞いた話ではありません。母から伝え聞いた話です。)


『石本さん、現在の新聞販売店を改廃したい。誰か請けてくれる人はいないだろうか?』 と。


父も、知人を介し、探したようです。

しかし、今でこそ、”山陰中央新報”といえば

島根県の西部地区においても認知度は高いのですが、

当時は、全くの無名に近い状態。


島根県は、”出雲の国””石見の国”でなりたっているのです。

”石見人”にとって、
島根新聞とは ”出雲の新聞” と揶揄される始末。

販売店を引き受けてくれる人はありませんでした。


ここで、父が余計な事を口走るのです

 

『何なら、僕がやろうか?!』


母  『絶句・・』。


たった100部からの始まりでした。


意地っ張りな父と母は、愚痴をいう事もありませんでした。

しかし、各新聞は、毎朝、江津駅に輸送されるのです。

江津駅で、それぞれチラシを折り込み、配達に出発するのです。


朝日、毎日、読売・・ 中央紙の独壇場でした。


負けず嫌いな父と母は、その部数の少なさが、みっともなくて悔しくて・・・・。

誰よりも早く駅に出て、チラシを折り込み、他社より先に配達に出発するのです。


父と母の寡黙な努力は、

”どこよりも早く届く新聞”が、100部から始まり、1,000部を

越える事となります。


平成9年12月26日。母から突然に電話がありました。

『お父さんの具合が変なの・・・』


その夜、私は松江から車を飛ばして江津へ。

深夜0時半。実家に到着すると、父は既に身支度を整えて、

配達業務の為、江津駅へ向かう準備中でした。

新聞は、江津駅にトラック便で届くのです。

事務所を出る前に必ず、印刷工場に電話をかけて、当日の便の

出発状態を確認するのです。


丁度、電話機を手に・・・電話を掛けていました。

事務所に入った私に気が付き


父 『おう!お帰り。・・・』

私 『どうした?・・・』

父 『ん? 電話が上手く掛けられないんだよ・・・』 と照れくさそうに

笑って言いました。


指が震えて、プッシュホンが操作できないと同時に

毎日掛けている電話番号が、思い出せなくなっていたのです。

『・・・・・・・・』

すぐに替わって、私が電話をしました。


その日から、毎日、深夜に松江から江津へ向かい、父の配達の手伝いを

しました。


バンの助手席に父を乗せ、私が運転と各戸への配達をするのです。

助手席から父が、『この家は、こうして入れて』 『ここの家は、こう入れて』


いちいちうるさいのです。


年末及び、正月元旦の新聞販売店は、嵐のように慌しい日々なのです。

ネコの手も借りたい。私が丁度、ネコの手程度でしょうか・・。


父の具合は、日に日に悪くなっていくのが、はっきりと解りました。

3日目には、家の中の敷居を自分の足で跨ぐ事が出来ない程、

衰弱していました。


当然、休養を薦めましたが・・・・聞く耳を持たず。

(病院の診察券というのを1枚も持ってない人でした)


『車に乗せてくれ!』   

相変わらず、助手席で 『そんな入れ方じゃダメだ!』

と文句を言うのです。


さすがに、私も

『親父!今はそんな事、どうでも良いじゃないか。

とにかく間違いなく入っておれば!!』


私は、1部の新聞より、父親の具合の方が、明らかに大事でした


しかし、父は息も絶え絶えな状態なのに、笑いながら、こう言ったのです。


『おまえ、間違ってるよ・・・

おまえにとっては、 1,200部中 の 1部 だろうが

この 1部 を 手にする 読者は、この1部しか 見えないんだよ!

この1部の 扱いが雑だったら、 全部の新聞の 扱いが

雑だと思われるよ!!』


・・・・絶句しました。


年が明け、正月の2日は休刊日。

3日の朝の新聞配達を終えてから、意識不明状態となり、救急車で病院に。


すでに手遅れの、末期の胃がんでした。


12月26日。 私が、最初に見た父の異変。

電話番号がプッシュできなかった父のそれは、すでに、癌が脳へ

転移していたのでした。


1月3日、緊急入院したその日に、余命宣告。


平成10年2月18日。父逝去。享年73歳。


父の最後に、1週間を共にした新聞配達。

事業をやっている私にとって、貴重な経験でした。

『何が大事な事なのか』・・・・それぞれの事業の内容は違っても

考えさせられました。


後日、母に、この配達中のやり取りを話しました。

にっこり笑って

 

『あら、あんた知らなかったの?

お父さんが良く、配達さんのバイクの荷台の箱に新聞を積んで

あげるでしょう!

あれは、配達さんの為にやってるんじゃないのよ!!

みんなが忙しいから、新聞を箱にドサッと入れるでしょ

・・・新聞を傷つけたくないから、入れてあげてんのよ!!』



新聞販売業にひたむきな、両親でした。

 

そんな両親を尊敬してやみませんし、誇りに思っています。



<私の決意>

そんな、父と母が育んだ新聞販売店です。私は、悩みました。


私自身、松江市にて、株式会社システムデザイン・アクティという

ソフトウェア開発会社の代表取締役なのであります。

創業20年目を迎えております。悲しいかな、まだまだ安定企業

と言える状態にはないのです。


社長と言いながらも、実態は第一線の営業マンでもあるのです。


独立する前、山陰中央新報社の本社に勤務していました。

昭和52年から昭和62年まで10年間勤務致しました。


新聞販売店の子供として育ち、新聞社に努め、そして独立。

その間、私がいかなる状態にいても、家業としての新聞販売店を、ずっと

手伝って参りました。 あくまで、手伝いですが・・・


新聞販売店を、子供として、新聞社の社員として、今は事業家として・・

あらゆる角度で接して来ました。


ある意味、誰よりも新聞販売店の内側と側面を良く知っています。


新聞販売店がこれから、どうあるべきか?・・持論もあります。


と同時に、現在のソフトウェア開発会社を運営しながら、兼務できるほど

”甘く” ない事を充分に承知しているのです。


母亡き後の、新聞販売店をどうするか?


母が引き継いだ、父の思い・・・・


母は、入院中も早期復帰を願い、頑張っていました。

スタッフも早期復帰を信じ頑張りました。


病床にあった母は、体調はともかく、事業意欲はまだまだ旺盛でした。

『そろそろ、仕事を止めて松江で暮らすのも良いじゃないか?』と

私が問うと 『バカ言ってんじゃないよ!! まだまだ数年はやるよ!』


そんな母の思い・・・・・・・そんな最中の、突然の別れでした。


母自身が、納得いかないでしょう。

母の人生の最終章をキチンと仕上げねばなりません。 


息子として・・・・


スタッフの気持ちも大事です。

また、古くからの読者のみなさまにも励ましの言葉を頂きました。


感謝の気持ちで一杯です。



『二足のわらじ』を履く事を決意しました。


大変な事は覚悟の上です。

スタッフの同意もとれています。が、店に常駐していない代表(所長)。


如何に地元に貢献して行くか?


店のスタッフと、充分にコミュニケーションを取りながら、新しい店作りに挑戦します。

新聞をお届けするだけではなく、『地域に貢献する店』を目指して、スタッフと共に頑張って参ります。


是非、ご支援の程、よろしくお願い申し上げます。


平成 19 年 7 月

山陰中央新報江津販売所

代表 石 本 光 史